リュック・ベッソン

Luc Besson


【プロフィール】

生年月日:1959年3月18日
出身地:フランス、パリ

映画監督、脚本家、プロデューサーであるリュック・ベッソンが映画の世界に入ったのは彼が17歳の時だった。パトリック・グランペレ監督による短編映画の撮影現場で、役者や技術者や監督の仕事を手伝ったことで、この世界に一目惚れしてしまった。ブーローニュ・ビヤンクールやエピネイのスタジオに忍び込んでは撮影を見学した。アシスタント・ディレクターの見習いからキャスティングまであらゆる仕事をこなし、パトリック・グランペレ監督の『Court-Circuit』、クロード・ファラルド監督の『Deux Lions au Soleil』、モーリス・ピアリア監督の『Loulou』、そして007シリーズの『ムーンレイカー(Moonraker)』等のセカンド助監督として働いた。レジス・ヴァルニエが監督した何本かのコマーシャル・フィルムでアシスタントを務めたこともあった。『Les Bidasses aux Grandes Manoeuvers』という映画ではファースト助監督を担当した。ジャン・レノという名の若い俳優と出会ったのは、キャスティング・ディレクターと共に仕事をしている時だった。アレクサンドル・アルカディ監督の『Le Grand Carnaval』では、ついに第二班監督を務めるに至った。これら2つの仕事の間にも、ベッソンは脚本を書き続けた。ピエール・ジョリヴェと知り合い、一緒にいつくかの作品を書いたが、このコラボレーションから16mmフィルムで撮影された彼の最初の監督作品が生まれた。

その後、彼は最初の短編映画を製作した。物語は核戦争後の荒廃した土地で展開する・・。彼はこの作品をピエール・ジョリヴェとジャン・レノ主演により白黒のスコープ・サイズで撮影した。この映画『最後から2番目の男(L'Avant Dernier)』は、アヴォリアッツの短編映画祭で上映されたが、大きな成功にはつながらなかった。彼は最初の長編作品『サブウェイ(Subway)』の脚本を書き始めたが、プロデューサーを見つけることができなかったため、この作品を一度断念せざるを得なかった。彼は『最後から2番目の男』をベースにした長編映画を製作することにし、これが『最後の戦い(Le Dernier Combat)』となった。ベッソンはこの映画を自分の映画会社“Les Films du Loup”で自らプロデュースした。この作品にはジャン・レノ、エリック・セラ、そしてジャン・ブイーズが参加し、白黒、スコープ・サイズでしかもサイレントのフランス製SF映画となった。10週間の過酷な撮影だったが見返りは大きかった。『最後の戦い』は1983年度アヴォリアッツ・ファンタスティック映画祭の一大イベントとなり、審査員特別賞と批評家賞を受賞した。その後、彼はセルジュ・ゲンズブールのビデオクリップ『Mon Beau Legionnaire』と、イザベル・アジャーニのビデオクリップ『Pull Bleu Marine』を監督するが、人々は彼の長編次回作を待ち焦がれた。

1985年に、彼はイザベル・アジャーニとクリストフ・ランベールという二大スターを起用して『サブウェイ』を監督する。今度は観客が映画を待ち構えており、クリストフ・ランベールはフランスのセザール賞の最優秀主演男優賞を受賞した。1986年に、彼はディディエ・グルッセ監督の『神風(Kamikaze)』をプロデュースし、脚本を共同執筆する。その後、彼は9ヶ月間をかけて『グレート・ブルー(Le Grand Bleu)』を監督する。この映画は1988年度カンヌ映画祭のオープニングを飾り、一世代を築く作品となった。

1990年には『ニキータ(Nikita)』を監督。主演女優のアンヌ・パリローはセザール賞の最優秀主演女優賞を受賞。この映画の日本での劇場公開は1年間にわたって続いた。アメリカではこの映画のリメイクも製作された(ジョン・バダム監督、ブリジット・フォンダ主演の『アサシン』)。

1991年には『アトランティス(Atlantis)』を監督。“水中のオペラ”として製作されたこの作品にはセリフも俳優もなく、イルカとクジラとサメが登場する。その次の作品はニューヨークが舞台となる『レオン(Leon)』である。ジャン・レノが主役を演じ、ナタリー・ポートマンがそのキャリアをスタートしたこの映画は、1995年に世界中で最も多くの人々に見られたフランス映画となった。

1997年にベッソンは2本の映画を引っさげてカンヌ映画祭に戻ってくる。1本は監督作品、1本はプロデュース作品である。彼がプロデュースし、ゲイリー・オールドマンが監督した『ニル・バイ・マウス(Nil by Mouth)』で、キャシー・バークは最優秀主演女優賞を受賞した。また、彼が監督し、ブルース・ウィリスが主演したSF映画『フィフス・エレメント(Le Cinquieme Element)』は映画祭のオープニングを飾り、この映画でベッソンはセザール賞の最優秀監督賞を受賞した。

彼はプロデューサーとしての活動も続け、ジェラール・ピレスが監督した『TAXi』は若者の間で大ヒットとなった。

8本目の長編映画監督作品として、ベッソンは彼にとって全く新たな歴史劇というジェンルに取り組む。ミラ・ジョヴォヴィッチが鎧に身を包み、神秘的なジャンヌ・ダルクを演じた。同時に彼はジェラール・クラヴジック監督の『TAXiA』、フレッド・ギャルソンの初監督作品『ダンサー(The Dancer)』をプロデュースした。2001年には彼のプロデューサーとしての活動はより精力的となり、『15 Aout』、『Yamakasi ヤマカシ』、ジェット・リー、ブリジット・フォンダ主演の『キス・オブ・ザ・ドラゴン(Le Baiser Mortel du Dragon)』、そしてジャン・レノ主演、ジェラール・クラヴジック監督の『WASABI』の4本を製作する。

2001年1月、ベッソンはピエランジュ・ル・ポギャムと共同でフランスに映画スタジオ“ヨーロッパ・コープ(EuropaCorp)”を設立。ヨーロッパ・コープは年間4〜8本の映画を製作するとともに、劇場配給、ビデオ、音楽、出版、海外セールス等の映画ビジネスにおけるあらゆる活動をカバーしていく。


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